東日本大地震
March 19, 2011
まず初めに断っておくと、このエントリには誰かを攻撃したり、強制をする意図はまるで無い。ただ今の自分の考えをまとめただけだ。違う考え方の人がいることも理解しているし、ましてそれを非難するものではない。当たり前のことだけど、それだけは断っておきたい。
端的に書くと、僕は今とてもゲームをする気にはなれない。なるべくなら計画停電が終わる見通しが立つまでVFを断とうと思っている。心情的な側面と電気的な側面があるけれど、どちらかというと電気的な側面に因るところが大きいかもしれない。
このエントリを書いている今も、僕は薄暗くて寒い部屋の中で、ダウンを着て震えている。もともとそんなに電気を消費する生活でもなかったが、差し当たりその中でも電気を食うエアコンはどれだけ寒くても入れないと決めた。計画停電のインパクトというのは、僕にとってそれだけ大きいものだった。
電車が止まる。信号が止まる。病院の電気も止まる。そのどれもが人の死に繋がる危険性を孕んでいる。計画停電が長引けば、企業活動も直接的に滞る。復興に向けてより多くのエネルギーが必要なときに、そのエネルギーが欠乏している。それはもしかして致命的なのではないか。そのことに対する危機感、焦燥感。
福島の原子力発電所の事故は、原子力の危険度と共に、その力の比類なき巨大さを見せつけるかのようだった。恐らくもう日本に原子力発電所は建設できない。想定外の超大型地震でも最悪の状況を免れていることが安全性を証明しているという言説もあるが、住民感情がそれを受け入れることはもはやないだろう。だがそれは、原子力発電の代替の効かない力量を前提にしたこれまでの生活が成り立たなくなることでもあるのだ。
僕の住んでいる神奈川や住んでいた東京は、地震の直接的な被害はほとんど受けなかった。だが、電気が不足したこの状況はそれまでの生活をまるで変えてしまった。語弊があるかもしれないが、その意味で言えばもはや自分たちも被災者なのだ。傍観者ではなく当事者として、この大震災から復興していかなければならないのではないか。
それにしても、今までの生活が他者の大きな犠牲の上に成り立っていたことをこうまで明確に示されると、それはある意味で避けられないことだとしても、本当に心理的なダメージが大きい。
福島の原発の半径数十キロには、今後数十年というスパンで人間が住むことはできないと言われている。先祖の代から住み慣れた場所を奪われ、もう墓参りすらできないという。生産物を買う人間もいないだろう。事実上、福島の産業は死んだ。出身者への差別の可能性すら指摘されている。それらはこれまでの制度上の優遇などで清算されるものなのだろうか。
不謹慎などということに囚われてはならないということには同感だ。硬直的な思考は何も生み出さず、誰も幸せにしない。だが、どうしても頭の隅から消えないことというものもある。
移り住んだ横須賀という土地、ここには米軍の基地だけではなく、自衛隊の基地もある。だから自然と彼らのことを耳にする機会も増えるし、知り合う機会も増える。もともと僕は自衛隊員の知り合いが少なくない。例えば、高校の友人は防衛大からそのまま自衛隊に入り、任務の関係ですぐに連絡が取れなくなる。ソマリアの海賊に対処するため、子供と奥さんを置いて半年も船に乗って帰らない人もいる。
普段ゲームをする仲間にも数人の自衛隊員がいる。例えば、昨年末に結婚した彼は、身重の奥さんを残して船に乗った。上陸許可は2時間で、家まで片道50分だった。道すがら水と米を買い、奥さんに励まされてまた船に乗った。滞在時間はいかほどだっただろう。出産予定は7月なのに、帰ったらお父さんかなと日記に書き残して、彼は今日もきっとどこかで皆のために身体を張っている。
有事に身体を張って現場に飛び込んでいく彼らの姿を思うと、恥ずかしいことはできないと思う。普段いっしょに遊んでいる仲間が自衛隊員であるという事実は、それだけ強いインパクトがある。横須賀勢の意識が高いのも、きっとどこかに彼らへの敬意があるからではないだろうか。
- – - – -
最近のTwitterでの言い方はあまりにも怖すぎると、ある人に忠告を受けた。僕はそんなことを言ってくれる友人がとてもありがたかったが、それはさておき、今日はずっとそのことを考えていた。
ただ同調的なだけの関係は退屈だ。僕は親しい人間とそれぞれに異なる意見を交わすことが楽しい。だが第三者にはしばしば喧嘩をしているように見えるらしい。今回も僕はどちらかと言えば投げかけたつもりだった。身の振り方を含め、考えさせられることはたくさんある。同調圧力をかけたつもりもないし、普段より語気は強かったかもしれないが、非難したつもりもない。むしろ異論を望んでいた。
いつのまにか僕は歳を取り過ぎてしまったのかもしれない。もしくは、人との間合いを誤っているのかもしれない。Twitterは大好きだけど、向いていないこともあるのだろう。だからここに書くことにした。ここならば少なくとも場の空気を悪くすることはないだろうし、説明不足も補えるだろう。
書いているうちに支離滅裂になってしまった。でもそのまま書く。考えをまとめることよりも、今この状況では、今この気持を書き付けることが大切だ。
そうこうしているうちに、セガがいわゆるセガ税の一部を義援金として寄贈すると発表した。電気の問題は何らクリアされるわけではないが、少しは心理的な障壁が下がるだろう。これは素直に評価したい。
→ SEGA 東北地方太平洋沖地震の被災地・被害者への支援について
- – - – -
あれから毎日ずっと、唖然とするような恐ろしい映像、胸が潰れそうな悲しい映像を浴び続けている。日本のメディアはそれでもずいぶんマイルドで、海外メディアの写真など下手をすると心に傷を負いそうなものもある。刻一刻と状況が悪化する原発に神経をすり減らし、陰謀論に傾きそうな心を辛うじて御している。断続的につづく余震に、いつのまにか条件反射のように地震酔いをしている。
直接的な被害の殆どなかった僕ですらこうなのだから、被災された方の苦労、心痛はいかほどのものだろう。みんな意識が高くて、募金をしたり物資を送ったりしています。もう少ししたらきっと状況は良くなると思いますので、今は大変だと思いますが、どうかもう少しだけ待っていてください。

こういった形で文章で考えを綴ってくれて
嬉しいです。
落ち着いたらアトラン行くのでおしゃべりしてくださいね。
書くには書きましたが、正直言って移行してから誰かに読まれているとは思っていなかったですw
こちらこそよろしくお願いします。ドブ板レパートリーが少しだけ広がりましたので、またみんなで落ち着いて飲みたいですね。